昭和62年卒
川久保博文
慶應義塾大学 医学部 一般消化器外科 准教授
自分でやりたいことを見つけて、自分で道を切り拓く。海城での3年間が人生の礎をつくりました
将来の選択肢の広さと自由な校風に魅かれて
医者にはならない。小さい頃は、そう思っていました。私の父は外科医でしたので、周囲からは、当然、医者になるものという目で見られていました。それがすごく嫌で、反発していたんです。そこで、高校受験の際には、大学進学の選択肢が広いことを重視して志望校を選びました。海城でしたら、大学付属校とは違い、学部も幅広く自由に選べる。また、校風が自由なことも有名で、そこに魅力を感じました。
入学すると近くの席に中学から上がってきた連中がいて、彼らと仲良くなったらすぐにクラスを越えて友達の輪が広がりましたね。
当時の海城は、かなり放任主義で、勉強しろとも言われませんでした。だから、勉強したい人は勉強する。部活動をがんばりたい人は部活動に励む。僕は友達とバンドを組んで、ギターを始めました。みんな自分のやりたいことに没頭していましたね。
行事で印象に残っているのは、高2で行った修学旅行。1週間くらい北海道を周りました。函館、札幌、洞爺湖…。日高では農家に民泊もしました。農作業を手伝ったり、川遊びをしたり。普段できないことを経験させてもらい、とても楽しかった。後日、お世話になった農家の方から野菜が届いたんです。その野菜の味は、今でも忘れられません。
また、文化祭も特別な思い出です。バンドのメンバーと中夜祭や後夜祭で演奏しました。みんなハードロックが好きで、普段はオジー・オズボーンやボンジョビ等をコピーしていたのですが、文化祭では女子高生にもウケたかったので、アン・ルイスやハウンドドッグといったポップスを中心に。すごく盛り上がったのですが、途中でハードロックを1曲交えたら、潮が引くように体育館から女子高生がいなくなってしまい…。焦りましたね(笑)。
それから、文系進学クラスを中心に結成された “Edge”というチームに加入して、喫茶店もやりました。Edgeは大学進学後も、インターカレッジのサークルとして活動したんですよ。早稲田祭などいろいろな大学に勧誘に行って、おそらく4回くらい飲み会をやって解散したような…。
不思議なことに、今でも付き合っている友人には一度も同じクラスになったことがない人も多くいるんですよね。クラスや部活という枠にとらわれずに、友達の友達が友達になって、つながりが広がっていく。そんな土壌が海城にはありました。
学年320位から医師をめざす
高1~2のころは、授業も聞かなかったし、本当に勉強しませんでした。放課後は友達と遊んだり、バンドの練習をしたり。その日が楽しければいいやと気ままに過ごしていたんです。すると、入学当初は学年で上の方だった成績がどんどん下がっていって、高2の夏には下から数えた方が早くなりました。これは、さすがにまずい。そう思って勉強を始めると同時に、将来のことも考え始めました。いろいろ調べたり、父の病院で手術を見学させてもらったりもしました。高度な手術。助手や看護師さんに指示を出す姿。患者さんからの感謝。そういった光景を目の当たりにして、外科医になろうと決めました。
当時の成績は惨憺たるものでしたので、担任に「慶應の医学部か千葉大の医学部に行きたい」と伝えると「絶対に受からない」と。それでも、「あきらめろ」とは言われませんでした。僕の意志を尊重し、信じてくれたんだと思います。勘違いかもしれませんが(笑)。
そこで、高3の6月の文化祭が終わったら、本格的に勉強しようと決めました。きちんと理解するために、高1の教科書からやり直し、異常なまでに勉強しました。でも、時間が足りなくて1科目だけ最後まで終わらなかった。それで、浪人することになりました。もう3カ月早く始めていれば現役で合格していたと思います。
勉強一つとっても、海城では強制されることがなかったので、自分で考えて、自分で行動するようになりましたね。
自分の限界を自分で決めない
現在は、大学病院に勤務しています。大学生や若い医師を指導していますが、みんなやる気がありますから、こちらも大いに刺激を受けます。負けないようにがんばらないといけないし、教えるためには準備もしなければならない。それがとても楽しいですね。研究でも既存の治療方法についての検証や、新しい治療方法の開発などリサーチマインドをもって取り組んでいます。臨床、教育、研究と3つの分野に携わることができるのは、時間的にはとても大変ですが、おもしろい。それが大学病院のいいところですね。
外科医は、患者さんとそのご家族に対して、治療に関わることについて全責任を負います。それぞれの家庭環境も違うし、望んでいる治療も違いますから、話し合いを重ねながら、いろいろなことを考えます。その過程で信頼関係が非常に強くなるからこそ、信頼されたり、時には感謝されたりもします。そういった何百人もの方たちは、僕にとってとても大きな財産ですね。
医師を志望する後輩も多いと聞きましたが、中高時代に友達をたくさんつくっておいた方がいいと思います。医学部に進学すると、どうしても医者仲間が多くなり偏ってしまいがち。さまざまな価値観を持つ人たちと仲良くすることで、バランス感覚やコミュニケーション能力も身につくと思います。
高校時代の仲間に会うと多分野で活躍していますから、いろいろな話が聞けておもしろいですよ。それに、間違っている時や図に乗っているような時にはビシッと指摘し合えるし、客観的にものを言い合える。何でも言い合える大切な存在です。
海城では、自分でやりたいことを見つけて、自分で切り拓いていく生き様を学んだと思います。だからこそ、僕はハーバード大学へ留学もしましたし、それによって、また次の道が拓けてきました。
海城生のみなさんには、幅広く社会を見て、将来なりたいもの、やりたいことを見つけてほしいと思います。「誰かに言われたから」ではなく、将来を見据えて、そこに向かっていく過程を自分で考えて歩んでいってほしい。大学・学部選びも、大学名に左右されるのではなく、学びたい分野を勉強できる環境のいい大学•学部を調べて決めるといいのでは。
自分の限界を自分で決めることはよくないので、目標は高く持ってほしいですね。
川久保博文
慶應義塾大学 医学部 一般消化器外科 准教授